東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)1号 判決 1988年6月30日
原告
株式会社吉野工業所
被告
特許庁長官
右当事者間の昭和62年(行ケ)第1号審決(特許出願拒絶査定不服審判の審決)取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は、「特許庁が、昭和61年10月30日、同庁昭和60年審判第1497号事件についてした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は、主文同旨の判決を求めた。
第二請求の原因
原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和58年8月18日、名称を「ポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体」とする発明(以下「本願発明」という。)について昭和53年10月9日にした特許出願(昭和53年特許願第124303号。以下「原出願」という。)に基づく分割出願として特許出願(昭和58年特許願第150722号。以下「本出願」という。)をしたところ、昭和59年11月14日拒絶査定を受けたので、昭和60年1月16日これを不服として審判の請求(昭和60年審判第1497号)をしたが、昭和61年10月30日、「本件審判の請求は、成り立たない。」旨の審決(以下「本件審決」という。)があり、その謄本は、同年12月10日原告に送達された。
二 本願発明の要旨
ポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体において、首部より肉厚で2軸延伸されない口部はエツジ部を含む下部と、それより上方の上部とよりなり、前記上部は全体が加熱による結晶化部とされ、前記下部は外側が結晶化部で内側が前記首部に亘つて非結晶化部とされていることを特徴とする壜体。
(別紙図面(一)参照)
三 本件審決理由の要点
本願発明の要旨は、前項記載のとおり(特許請求の範囲の記載に同じ。)のものと認める。なお、本出願は、特許法第44条第1項に規定する、原出願の分割出願とは認められないから、本出願の出願日は遡及しない。すなわち、当審における拒絶理由通知でも指摘したように、本願発明は、昭和54年2月21日付で提出された補正図面(別紙図面(二)の第3図参照)に記載されたものであつて、原出願の出願当初の明細書と図面に記載される事項からだけでは本願発明が明示されていたとは到底認められない。審判請求人(原告)は、意見書において、原出願の出願当初の明細書の記載(例えば、明細書第3頁第14行ないし第17行及び同第6頁ないし第8頁)及び第1図に示される加熱方法などを考慮すれば、本願発明は、原出願の出願当初の明細書及び図面(別紙図面(二)の第1図及び第2図参照)に記載されていたものであると主張している。しかしながら、これらの記載を考慮しても、本願発明の必須要件である口部のエツジ部を含む下部内部が首部にわたつて結晶化されていないこと(言い換えると、非結晶化部とすること。)及びこの構成により該非結晶化部が衝撃力を吸収して優れた耐衝撃性が得られるという作用効果について何ら記載されていないし、結晶化部と殊更に指摘していない部分が非結晶化部であるとは必ずしもいえない。したがつて、原出願の出願当初の明細書と図面に記載される結晶化部は、少なくとも口部の上端部(上部ではない。)から外周面部分全域にわたつて形成されているというにとどまり、非結晶化部について明示しているとは認められず、審判請求人(原告)の主張は採用できない。これに対して、当審において昭和61年6月10日付で通知した拒絶理由の通知に引用された特開昭55―51525号公開特許公報(以下「引用例」という。)には、「ポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体であつて、壜体成形時にはほとんど延伸を受けることなく形成されてしまう壜体口部の突出部近傍外周部とその上方全部を加熱による結晶化部2aとし、前記突出部に対応する内側が結晶化されていない壜体」(別紙図面(三)参照)が記載されている(第3図実施例とその説明参照)。
そこで、本願発明と引用例記載のものとを比較すると、前者は壜体の加熱時又は搬送時の把持部となるエツジ部が形成され、該エツジ部を含む口部下部内側が非結晶化部であるのに対して、後者は突起部に対応する内側が非結晶化部である点でのみ両者は相違し、他の構成については両者は一致するものと認められる。上記相違点について検討すると、引用例に記載される突起部を、壜体把持用のエツジ部に転用することは、通常該口部自体が壜体成形時機械に把持されることを考慮すると当業者であれば普通に推考し得るものと認められる。そして、該エツジ部を含む口部下部内側を首部にわたつて非結晶化部とすることも、引用例記載のものにおいても突起部に対応する内側下部であることは明白であるから、引用例記載のものから当業者が必要に応じて適宜なし得る程度の設計事項と認められ、その奏する作用効果も容易に予測し得るものと認められる。以上のとおりであるから、本願発明は、引用例に記載されたものに基づいて、当業者が容易に発明することができたものと認められるので、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。
四 本件審決を取り消すべき事由
引用例に本件審決認定のとおりの記載があること、本願発明と引用例記載のものとの一致点及び相違点か本件審決認定のとおりであること、並びに右相違点についての本件審決の認定判断は認めるが、本件審決は、原出願の出願当初の明細書及び図面に本願発明が記載されていたにもかかわらず、その記載がないとの誤つた認定をして、本出願をもつて原出願に基づく分割出願とは認められず、出願日が遡及しないとの誤つた認定判断をしたものであり、これが本件審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、この点で違法であり、取消しを免れない。すなわち、
1 原出願の出願当初の明細書には、「口部2のほぼ全域のポリエチレンテレフタレート樹脂材料が結晶化(する)」(第1頁第9行ないし第10行)、「ほとんど延伸を受けることなく成形されてしまう壜体の口部は、充分に延伸を受けて成形された胴部等に比べてある種の物性および耐久性が劣つていた。」(第2頁第9行ないし第12行)、「本発明は、上記したポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体の口部における不都合を解消すべく創案されたもの(であること)」(第2頁第17行ないし第19行)、「口部2の加熱は、当然のこととして口部2の上端部が最もその加熱程度が高く、下位にゆくに従つて加熱程度が低下してゆくことになるが、口部2の周方向に関して均等である必要がある。」(第3頁第14行ないし第18行)、「ヒータHによる口部2の加熱手段として実用的なのは、第2図に示す如く、ヒータHとして遠赤外線棒ヒータを利用し、この遠赤外線棒ヒータを壜体1直上からわずかにずれた位置に配置し、その代り壜体1を一定速度で回転する回転軸4の上端に固定された受け治具3上に乗載し、壜体1をヒータHに対して回転するようにすると良い。」(第4頁第3行ないし第10行)、「口部2には厚みがあること、樹脂材料の熱伝導度は決して高い値ではないこと、生産性を高める必要があること、過熱のために口部2が熱変形をしてはならないこと、等の条件のために前記した加熱温度および加熱時間にはおのずと制限が生ずること」(第5頁第4行ないし第9行)、「多くの実験例の結果、熱変形を引き起こすことなく必要とされる口部2区域を第3図図示の結晶化部2aの如く結晶化させることができる加熱温度範囲および加熱時間としては、加熱温度範囲は約140~170〔℃〕の範囲が、そして加熱時間としては……約4~8分間が適当であるとの結論に達した。」(第5頁第11行ないし第20行)、「第3図に示した例は、加熱温度として155〔℃〕で、加熱時間を4分30秒とした場合の例を示すものである。この第3図から明らかな如く、結晶化部2aは、口部2の上端部から外周面部分全域にわたつて形成されることになる」(第6頁第3行ないし第8行)、「(白化により)、口部2は耐クレージング性が大幅に高められるのを初めとして、機械的な剛性が向上するので、耐衝撃性、耐摩擦性、耐外圧性が向上し、ネジキヤツプまたは王冠等のカシメキヤツプが組付けられて壜体1を長期間密封保持しなければならない口部2の機械的強度を効果的に高める効果がある。」(第6頁第11行ないし第17行)との記載があり、第1図からはヒータが一様の熱量を均一に放出していることが理解でき、また第1図及び第2図によれば、「壜体の口部外周面には最下段のエツジ部を含めていくつかの凹凸が存在すること」及び「ヒータは一様の熱量を均等に放熱しており、壜体の口部を除く部分が既に2軸延伸された壜体が使用される例があること」が分かる。そして、更に、「樹脂の加熱は主として放射熱と樹脂内の熱伝導によるものであること」、「熱線方向に対し直角をなす物体の表面が受ける単位面積当たりの放射熱は、熱源からの距離の二乗に反比例すること」、「物体の表面が熱線方向に対しなす角度が直角でないときは、その正弦を乗ずることによつて該表面の受ける熱量を算定できること」、「ヒータが棒状のものであつて、かつ、壜体の上方に水平に位置されるとき、壜体の口径にもよるが、一般には口部の外周表面は内周表面より多量の熱量を受けること」、及び「2軸(又は1軸)方向に延伸されている部分は白化結晶化しにくいこと」などは、当業者にとつて自明な事項である。右に指摘した原出願の当初の明細書又は図面の記述内容及び当業者に自明な事項を総合すると、原出願の当初の明細書又は図面からは、そこに記述されたような加熱処理を行なつた場合には、熱線方向に対する角度の大きい上端部、次いで外周面のエツジ部等の凸部の上部及び凹部の下部がいち速く白化結晶化し始め、それぞれ熱伝導により上部から下部に向かつて白化が進行し、上端部から外周面部分全域にわたつて結晶化されること、並びにエツジ部の白化終了時にはこれに対応する内側は未白化であることが明らかである。また、白化結晶化させることによる目的効果は、特に口部上部に要求される耐クレージング性や機械的剛性の向上等であり、各目的を達するためには前記未白化部分を白化させることは必要ないし、必要以上の加熱を行なうと、上端部分が溶融することから、エツジ部外周面の白化の終了とともに加熱処理を終了すると考えるのが当然である。しかも、原出願の出願当初の明細書の「第3図に示した例は、加熱温度として155〔℃〕で、加熱時間を4分30秒とした場合の例を示すものである。この第3図から明らかな如く、結晶化部2aは、口部2の上端部から外周面部分全域にわたつて形成されることになる」(第6頁第3行ないし第8行)との記載から明白なように、第3図は、具体的加熱時間の条件によるものであるから、右の条件において内側下部が未白化となることは追試可能な事実である。したがつて、口部のエツジ部を含む下部内部が首部にわたつて結晶化されないという本願発明の構成は原出願の出願当初の明細書又は図面に記載されていたもの若しくはこれらの記載から自明のことであつた。この点、被告は、原出願の出願当初の明細書における加熱温度とは加熱ヒータの表面の温度であるか、あるいは壜体1の口部表面における温度であるのか明らかでなく、加熱ヒータの長さ及び加熱時の棒ヒータと壜体との距離、加熱時の雰囲気についても記載がないから、外周面のエツジ部の白化終了時には、これに対応する内側が未白化であるということは明らかとはいえず、非結晶化部が衝撃力を吸収して優れた耐衝撃性が得られるとの作用効果については記載がないし、自明の作用効果とも認められない旨主張するところ、確かに、原出願の出願当初の明細書には、ヒータの長さ、壜体との距離及び加熱時の雰囲気についての記載はないし、非結晶化部が衝撃力を吸収して優れた耐衝撃性が得られるとの作用効果は自明なものでもないが、以下に詳述するように、被告の右主張は失当である。すなわち、原出願の出願当初の明細書には、「第1図図示実施例の如く、平坦な放熱面を有しかつこの放熱面全域が均一な温度となるようなヒータHであることが望ましい」(第3頁第19行ないし第4頁第1行)との記載があるところ、この第1図に示されたような条件下で加熱をすると、口部外周表面は内周表面より多量の熱量を受けることは明らかである(口部の内側と外側とが同一の熱量を受けるためには、熱伝導度が極めて高く樹脂材料自体の熱遮断効が全くないことが必要であるが、「口部2には厚みがあること、樹脂材料の熱伝導度は決して高い値ではない」(第5頁第4行ないし第6行)ことから被熱体自体の熱遮断効を否定することはできない。)。また、加熱温度についてみても、原出願の出願当初の明細書における「口部2を形成している樹脂材料を結晶化させる原理的な温度は、ポリエチレンテレフタレート樹脂材料のもつガラス転位点(70〔℃〕)以上であり」(第4頁第15行ないし第17行)、「口部2を形成している樹脂材料を結晶化させるに要する加熱温度……は、約70〔℃〕以上でかつ約2分30秒以上であれば良いことになる。」(第4頁第20行ないし第5頁第3行)の記載のほか、前掲の「口部2区域を第3図図示の結晶化部2aの如く結晶化させることができる加熱温度範囲及び加熱時間は、加熱温度範囲は約140~170〔℃〕の範囲が、そして加熱時間としては……約4~8分間が適当であるとの結論に達した。」との記載及び「第3図に示した例は、加熱温度として155〔℃〕で、加熱時間を4分30秒とした場合の例を示すものである。」との記載を総合すると、各記載された温度が樹脂材料自体、つまり壜体1の口部表面温度を指すものであることは明らかである。けだし、樹脂材料自体の温度が結晶化のための第一次的要因であり、ヒータの表面温度は、ヒータと壜体との距離その他の要素と相まつて、このような樹脂の表面温度を左右する副次的要素の1つにすぎないからである。そして、前述した加熱温度が、結晶化する樹脂材料自体のいわゆる結晶化温度であるとの理解に立つて、先に原告が指摘した原出願の出願当初の明細書又は図面に記載された事項及び当業者に自明な事項を総合して考えれば、被告指摘のようにヒータの長さ、加熱時の棒ヒータと壜体との距離、雰囲気等について条件は明瞭でないとしても、「この第3図から明らかな如く、結晶化部2aは、口部2の上端部から外周面部分全域にわたつて形成されることになる」(第6頁第6行ないし第8行)の記載は、内周面が未白化の状態であること、すなわち、エツジ部の白化終了時にはこれに対応する内側が未白化の状態であることを意味していることが明白である。要するに、原出願の出願当初の明細書における「結晶化部2aは、口部2の上端部から外周面部分全域にわたつて形成されることになる」との記載からは、結晶化部と殊更に指摘されていない部分については、非結晶化部であると解されるものである。第1に文理上、そのように解するのが素直である(指摘されない部分も結晶化部となるのであれば、「少なくとも」という限定が置かれるのが普通である。)し、第2に、実際にも、右の結晶化部として指摘されていない部分が非結晶化部であることは十分に可能な1態様である。確かに、右部分も一定の具体的な加熱条件の設定の仕方によつては、結晶化部となり得ないわけではないが、原出願の出願当初の明細書においては、「口部2を形成している樹脂材料を結晶化させる原理的温度は、ポリエチレンテレフタレート樹脂材料のもつガラス転位点(70〔℃〕)以上であり、また、その結晶化に要する原理的な時間は、結晶核のでき始める時間すなわち約2分30秒以上であれば良い」(第4頁第15行ないし第20行)としつつも、「口部2区域を第3図図示の結晶化部2aの如く結晶化させることができる加熱温度……としては……約4~8分間が適当である」(第5頁第12行ないし第20行)とも記載しているのであるから、樹脂材料の一部がガラス転位点以上で2分30秒以上という条件に達した後においても所望の結晶化が完了するまでには更に一定の時間を必要とすることは明らかである。このように、結晶化の進行に時間を要するということは、樹脂材料の熱伝導度が極めて低いため、外周面の部分の白化が終了してもこれに対応する内部の白化は未だ終わつていないことを意味しているのである。このようにみると、原出願の出願当初の明細書における「結晶化部2aは、口部2の上端部から外周面部分全域にわたつて形成されることになる」との記載は、「(口部のエツジ部を含む)下部は外側が結晶化部で内側が前記首部に亘つて非結晶化部とされている」との本願発明の特徴的構成要件を明示しているものというべきである。なお、第3図については、原出願に当たつてその提出を失念していたところ、昭和54年1月6日付手続補正指令書によつて、その提出が命ぜられたので、原告は、これに応じて同年2月21日付手続補正書によつて第3図を提出補正したものであるけれども、原出願の出願当初の明細書には、数箇所にわたつて第3図に言及するところがあるうえに、結晶化部はその符号2aにより示される旨の記載があることからしても、第3図は全くの提出手続上のミスによつて提出を失念していたものであり、原出願の後に新たな発明を付加したものはないことが明らかであるから、第3図が提出補正された右のような経過に照らすと、被告において、本出願が原出願からの分割出願とは認められない旨主張することは信義則上許されないものというべきである。
2 仮に、右主張が認められないとしても、昭和54年2月21日付手続補正書が提出されたことによつて、本願発明が原出願の明細書又は図面に開示されていたことは明らかであるから、本願の出願日は右手続補正書の提出日である昭和54年2月21日まで遡及するものとみるべきである。そもそも、分割出願の遡及を認める趣旨は、1発明1出願の原則に反する出願や併合要件を満たしていない2以上の発明を目的とする出願、特許請求の範囲には記載されていないが、明細書の発明の詳細な説明又は図面に記載されている発明を包含する出願がある場合に、これらの発明も公開されることから、公開の代償として独占権を与えるという特許制度の趣旨にかんがみて、これらの発明にも保護を認めようとすることにある。要するに、公開した発明には可及的に特許を与えようとするものである。他方、出願後に補正をし、これが要旨の変更となる場合に、特許法第53条第4項の規定(昭和60年法律第41号による改正前の規定をいう。以下同じ。)によれば、補正却下の決定謄本の送達の日から30日以内にその補正後の発明について新たな特許出願をしたときは、特許出願は、その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなされており、制度的には、出願人が、補正却下の決定をまつて新出願をすることにより、補正時の利益を確保することができたのであるが、一般に特許庁の審査処理事務の遅滞により要旨の変更を含む補正について補正却下の決定がなされるまでには相当の日数を要しているのが現状であり、他方、出願人には、手続上、当該補正が要旨の変更に当たるか否かについての確認を求めたり、あるいは補正却下を求める申立権がないから、いつ補正却下の決定がなされるのか不明のまま不安定な地位に置かれている。そこで、出願人が、補正の却下の決定をまたずして右補正により付加された発明について分割出願した場合には、適法な分割出願とは認められず、補正時への遡及の利益も享受できないとすれば、先願主義をとるわが特許法のもとにおいて最も重要な「出願日がいつになるか」という効果が、審査官がいつ要旨の変更と認めたかによつて異なるという到底是認し得べからざる不都合が生じる。けだし、客観的に動かし難い時点が出願日とされるのでなければ、先願主義はその基礎を失うものである。特許法第44条第1項の規定は、原出願の出願当初の明細書又は図面に記載された発明に限らず、出願後補正によつて付加された発明についても分割を認めるものであり、同条第2項の規定も特許法第53条第4項の規定による補正時に出願されたものとする擬制を排除するものではないから、補正後に補正に係る発明について分割出願がなされたときには、右のような補正は出願と同視できるものである点にかんがみ、補正時に出願日が遡及するものと解すべきである。したがつて、昭和54年2月21日付手続補正書によつて第3図を提出補正したことが、要旨の変更に当たるか否かはさておき、本願の出願日は第3図が提出補正されて本願発明が開示されるに至つた昭和54年2月21日に遡及するものというべきである。
第三被告の答弁
被告指定代理人は、請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。
一 請求の原因一ないし三の事実は、認める。
二 同四の主張は、争う。本件審決の認定判断は正当であつて、原告主張のような違法の点はない。
1 請求の原因四1の主張について
原出願の出願当初の明細書又は図面に原告主張の記載があり、かつ、原告が当業者において自明なこととして指摘した事項(「ヒータが棒状のものであつて、かつ、壜体の上方に水平に位置されるとき、壜体の口径にもよるが、一般には口部の外周表面は内周表面より多量の熱量を受けること」は除く。)については認めるが、原出願の出願当初の明細書又は図面に記載されたポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体の口部における結晶化部2aについては、原出願の出願当初の明細書に、「結晶化部2aは口部2の上端部から外周面部分全域にわたつて形成されること」(第6頁第6行ないし第8行)、結晶化される加熱条件として、加熱温度約140~170〔℃〕の範囲、加熱時間は約4~8分間が適当であること(第5頁第14行ないし第20行)及び「第3図に示した例は、加熱温度として155〔℃〕で、加熱時間を4分30秒とした場合の例を示すものである。」(第6頁第3行ないし第5行)との記載があるのみであり、原出願の出願当初の明細書における加熱温度とは加熱ヒータの表面の温度であるか、あるいは壜体1の口部表面における温度であるのか明らかではなく、また、加熱ヒータには遠赤外線棒ヒータを利用すると記載されているが、棒ヒータの長さ及び加熱時の棒ヒータと壜体との距離、加熱時の雰囲気については何ら記載がない。この点に関して、原告は、当業者にとつて、「一般には、口部外周表面は内周表面より多量の熱量を受けること」は自明のことである旨主張するが、ヒータの熱出力と長さ、被熱体との距離、雰囲気等を含む加熱条件と被熱体の熱伝導性などの物性及び形状などによつて必ずしも一側面の熱の一部が遮断されるとはいい得ないのであるから、熱伝導をはじめとする広い意味での加熱条件を考慮に入れていない原告の右の主張は失当である。したがつて、当業者に自明な前記各事項を踏まえて原出願の出願当初の明細書における前記のような結晶化部についての記載、結晶化させる条件としての加熱温度及び時間及び遠赤外線棒ヒータに関する記述を総合勘案しても、原告が主張するように、外周面のエツジ部の白化終了時には、これに対応する内側が未白化であるということは明らかとはいえない。原出願の出願当初の明細書の記述から、昭和54年2月21日付手続補正書によつて提出補正された第3図に示されるようなドツトで表された部分のみが原出願の出願当初の明細書にいう結晶化部2aであり、その余のドツトのない部分が、非結晶化部として存在するということを明確に理解することはできない。更に、非結晶化部が衝撃力を吸収して優れた耐衝撃性が得られるとの作用効果については原出願の出願当初の明細書には何ら記載がないし、これが自明の作用効果とも認められない。したがつて、原出願の出願当初の明細書又は図面(第3図は欠落していた。)には、本願発明の必須の構成要件である「口部のエツジ部を含む下部内部が首部に亘つて非結晶化部である」点及びこの構成により該非結晶化部が衝撃力を吸収して優れた耐衝撃性が得られるという作用効果については記載されていないといわなければならない。そうすると、右の必須の構成要件及びこれにより奏する新たな作用効果を含む本願発明は、原出願の出願当初の明細書又は図面に含まれていたものではなく、本出願は、特許法第44条第1項の規定する出願とは認められず、その出願日を原出願の出願日に遡及するものと認めることはできない。なお、原告は、手続補正指令書により提出を命じられたことに応じて、昭和54年2月21日付手続補正書によつて第3図を提出補正したものであることや原出願の出願当初の明細書の記述に照らして、第3図が提出されていなかつたのが手続上のミスによることが明らかであるとして、本願を原出願からの分割出願として認めないのは信義則上許されない旨主張するが、この点は、あくまで原告側の事情にすぎず、第3図の提出を失念したという出願人の質に帰すべき手続上のミスによる不利益は、あくまで出願人である原告が負うべきことである。
2 同四2の主張について
「原出願の適法な分割出願であるといいうるためには、その出願の発明の要旨のすべてが、原出願の願書に添付した明細書に当業者がその発明を正確に理解し、かつ、容易に実施しうべき程度に記載されていなければならない。」(東京高等裁判所昭和48年6月29日言渡しの昭和36年(行ケ)第134号審決取消請求事件の判決・昭和50年11月26日言渡しの昭和47年(行ケ)第108号審決取消請求事件の判決参照)が、本願発明が原出願の出願当初の明細書又は図面に開示されていないことは前述のとおりである。更に、本出願の出願日を第3図を提出補正した昭和54年2月21日付手続補正書提出の日まで遡及させるべきである旨の原告の主張は、特許法上これを認めるべき規定がなく、根拠のない主張であり失当である。なお、原告は、出願後に補正をし、これが要旨の変更となる場合に、その補正後の発明について新たな特許出願をしたときには、その特許出願は、その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなされるので、補正却下の決定をまつて新出願をすることにより、補正時の利益を確保することができることに言及主張するが、原出願についての補正が要旨の変更に当たるか否かは原出願固有の問題であつて分割出願には直接関係のないことである。また、昭和54年2月21日付手続補正書は、原出願の添付図面として本来あるべき第3図を単に追加提出するものであり、かつ、第3図に開示された発明によつて原出願の明細書における特許請求の範囲に記載された技術的事項が何ら実質的に変更されるものでもないのであるから、これが原出願の出願当初の明細書の要旨を変更するものではなく、したがつて、右の補正について補正却下の決定がなされる余地はないのである。
第四証拠関係
本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いのないところである。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 本件審決の認定判断は正当であつて、原告がその取消事由として主張するところは、以下に説示するとおり、理由がないものというべきである。
前示本願発明の要旨に成立に争いのない甲第5号証の一(本願発明の明細書)、二(昭和59年8月13日付手続補正書)及び三(昭和60年2月15日付手続補正書)を総合すると、本願発明は、「ポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体において、特にその首部から口部に亘る部分の構造に関するもので、クレージング等を発生し易くなつている口部の物性を高めること、さらに口部下部から首部に亘る部分がすぐれた耐衝撃性を維持することを目的とする」ものであり、「首部より肉厚で2軸延伸されない口部はエツジ部を含む下部とそれより上方の上部とよりなり、前記上部は全体が加熱による結晶化部とされ、前記下部は外側が結晶化部で内側が前記首部に亘つて非結晶化部とされているとした構造とすることにより、口部が未延伸であつても該口部の上部を加熱による結晶化部とすることにより、口部が例えば高濃度のアルコール等により発生するクレージングを防止でき、あるいは中栓嵌着時の応力による口部先端の内壁面のひび割れ等を防止することができるとともに、壜体の加熱時または搬送時の把持部となるエツジ部が形成されている下部は外側を結晶化部とし、内側を首部に連続する非結晶化部とすることにより、壜体の加熱時または搬送時に前記エツジ部を治具等によつて把持しても該エツジ部が変形したり損傷したりすることがなく、さらに口部下部から首部に亘る部分に衝撃力が加えられても、その衝撃力は外側の結晶化部分に作用することは勿論であるが、内側の非結晶化部にも作用して衝撃力を吸収する結果となり、従つて優れた耐衝撃性が得られるという効果を奏するものである。」ことが認められ、したがつて、本願発明の特徴は、「(口部)の上部は全体が加熱による結晶化部とされ、(エツジ部を含む)下部は外側が結晶化部で内側が前記首部に亘つて非結晶化部とされている」構成を採用することによつて、口部先端内面部に発生するクレージングとひび割れを防止するとともに、壜体の加熱時又は搬送時に前記エツジ部を治具等によつて把持しても該エツジ部が変形したり損傷したりすることがなく、更に口部下部から首部にわたる部分に衝撃が加えられても、内側の非結晶化部が衝撃力を吸収する結果、優れた耐衝撃性のある壜体としたことにあるものと認められる。
そこで、原出願の出願当初の明細書又は図面に本願発明が含まれていたか否かにつき検討するに、原出願の出願当初の明細書に原告の指摘する各記載が存することは当事者間に争いがなく、これらの記載に成立に争いのない甲第二号証の一(原出願の出願当初の明細書並びに第1図及び第2図)を総合すれば、原出願の発明は、「ポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体(1)の直上にヒータHを配置し、該ヒータHによつて前記壜体(1)に口部(2)を約140~170〔℃〕の温度で該口部(2)のほぼ全域のポリエチレンテレフタレート樹脂材料が結晶化するまで加熱するポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体の口部強化方法」(特許請求の範囲の記載)であつて、その発明の詳細な説明の欄には、「壜体成形時にほとんど延伸を受けることなく成形されてしまう壜体の口部は、充分に延伸を受けて形成された胴部等に比べてある種の物性および耐久性が劣つていた。」(第2頁第9行ないし第12行)こと、そのため、「本発明は、上記したポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体の口部における不都合を解消すべく創案されたもので、上記した口部における不都合が2軸延伸を受けないことによる口部部分の形成樹脂材料の密度不足により引き起こされることを種々の試験の結果明らかとなつたので、この口部の樹脂材料の密度を、樹脂材料を結晶化させることによつて高めるようにしたものである。」(第2頁第17行ないし第3頁第5行)との記載があり、これを実現するために、前記特許請求の範囲記載のとおり「口部(2)のほぼ全域のポリエチレンテレフタレート樹脂材料が結晶化するまで加熱する」ことを特徴とする「ポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体の口部強化方法」を採択したものであること、そして、壜体口部を加熱結晶化させる具体的な操作とその結果が原出願の願書に最初に添付された図面第1図及び第2図と添付を欠落した第3図(本出願の願書添付の図面(符号の点を除く。)に相当。なお、右第3図が原出願の願書に最初に添付された図面に欠落していたこと、及び後に手続補正書により追加補正されたことは、当事者間に争いがない。)に基づいて説明されていることが認められる。しかしながら、右のとおり、原出願には、第3図が当初欠落していたため、原出願の出願当初の明細書中の「第3図図示の結晶化部2aの如く結晶化させる」、「第3図から明らかな如く、結晶化部2aは、口部2の上端部から外周面全域にわたつて形成されることになる」等の文言にいう結晶化部2aについて、それが口部2の外周面全域の表面から内側のどの範囲までの部分を意味するのか、また、口部2の内周面は結晶化されるのか、その範囲はどうか等については、前示原告指摘の原出願の出願当初の明細書中の各記載及び前認定の原出願の出願当初の明細書の記載内容、更にまた、原告が当業者に自明なことと主張する事項を総合勘案しても、これを明確に理解することは困難であり、しかも、前掲甲第二号証の一を精査するも、原出願の出願当初の明細書又は図面には、未結晶化部を衝撃力の吸収のために積極的に活用しようとする前示本願発明の技術的思想については、これを開示し、又は示唆する何らの記載も認めることができない。そうすると、原出願の出願当初の明細書又は図面には、本願発明のように「首部より肉厚で2軸延伸されない口部はエツジ部を含む下部と、それより上方の上部とよりなり、前記上部は全体が加熱による結晶化部とされ、前記下部は外側が結晶化部で内側が前記首部に亘つて非結晶化部とされている」という構成を採用して、内側の非結晶化部に衝撃力を吸収させることによつて優れた耐衝撃性を有する壜体を得るという本願発明の技術的思想が開示されているものとは認められず、したがつて、本件審決が、原出願の出願当初の明細書又は図面(第3図は欠落していた。)には、本願発明の必須の構成要件である「口部のエツジ部を含む下部内部が首部に亘つて非結晶化部である」点及びこの構成により該非結晶化部が衝撃力を吸収して優れた耐衝撃性が得られるという作用効果についての記載もないことを理由に、本出願をもつて原出願からの適法な分割出願とは認められず、出願日の遡及は認められないとして、本出願の出願日を昭和58年8月18日と認定したことは正当であつて、この点に原告主張のような違法はない。この点に関し、原告は、原出願の図面から手続上のミスによつて第3図が欠落していたことが明らかであり、しかも、手続補正指令書に応じて昭和54年2月21日付手続補正書によつて第3図を追加補正した経過に照らしても、原出願からの適法な分割出願と認めないことは信義則上許されない旨主張するが、既に説示したところから明らかなように、原出願からの分割出願に係る本願発明の技術的思想は、追加補正された第3図を抜きにして理解できないものである以上、本来、添付することを予定していた第3図とされる図面の提出を失念したことの不利益は出願人である原告が負うべきことは当然のことというべきであるから、この点の原告の非難は当たらない。
ところで、原告は、分割出願の出願日の遡及に関し、特許法第53条第4項の規定を援用し、要旨の変更と認められて補正却下の決定を受けた補正に関して、補正後の発明について新たな特許出願をした時は、その特許出願は、その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなされていた点を強調し、補正により付加された発明に係る分割出願について、その出願日を補正書提出の日まで遡及されるべきである旨主張するが、特許法第44条第1項及び第2項の規定は、原出願の願書に添付した明細書又は図面に2以上の発明が包含されている場合について、特許制度の趣旨にかんがみて、1出願により2以上の発明につき特許出願した出願人に対し、右出願を分割するという方法により分割した発明につきもとの出願の時に遡つて出願したものとみなして特許を受ける途を開いたものであり、出願後に付加された発明をも分割の対象として予定した規定とは解されないから、原出願の後に補正によつて付加された発明について分割出願を認めることはできないし、特許法が予定したそれぞれの手続面をみても、原出願からの分割出願としてその出願日をもとの出願日に遡及させる制度と補正却下の決定に基づく補正内容についての取扱いとを同一視することはできず、特許法には、原告主張の見解を根拠づけるに足る規定は見いだせないから、原告の右の主張は到底採用できない。そして、成立に争いのない甲第三号証(引用例)によれば、引用例は、前記原出願の出願当初の明細書又は図面に、前記昭和54年2月21日付手続補正書によつて追加補正された第3図を加えた「ポリエチレンテレフタレート樹脂製2軸延伸成形壜体の口部強化方法」に係る明細書及び図面(第1図ないし第3図)を内容とする公開特許公報であり、昭和55年4月15日に公開されたものであることが認められ、本願発明と引用例記載のものとの一致点及び相違点が本件審決認定のとおりであること、並びに右相違点について本件審決の認定判断は、原告の認めるところであるから、本願発明をもつて引用例に記載されたものに基づいて当業者が容易に発明をすることができるものとした本件審決の判断には、何ら違法の点はない。
(結語)
三 以上のとおりであるから、その主張の点に認定判断を誤つた違法があることを理由に、本件審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由がないものというほかない。よつて、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法第7条及び民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 武居二郎 裁判官 舟橋定之 裁判官 小野洋一)
<以下省略>